◆Classic Paris #30 オテル・ド・シュリー パリ4区/Hôtel de Sully, 4e PARIS(2019年11月)
再びシュリー館で見かけた微笑ましい風景。
ところでパリ市の人口はおよそ225万人。名古屋市とほぼ同じくらいの人口だが、面積は100キロ平方キロメートルほどで名古屋市の1/3ほどしかない。
そして行政区は20区に分かれているのだが、その区分けの仕方がちょっと面白い。市中心部を示す標識がパリ市発祥の地、シテ島のノートルダム大聖堂前の地面にある。
今夜は少し長文になりそうなのであらかじめご容赦を。
話は戻り、1区はそのシテ島の一部とセーヌ川の右岸川岸から北へ1キロ、東西2キロほどのエリア、その北側が二区。そして三区はというと二区の北側ではなく東側のこれまた同じ位の面積がそのエリア。四区はというと今度は三区の南側とサンルイ島の一部がそのエリアとなる。
さて五区はどの辺りかというと、サンルイ島の南側、つまりセーヌ川の左岸エリアの数キロ四方。
六区はどこ?
ここまでくると感の良い方は気が付かれるかと思うが、その通りで五区の西側!で、七区はさらにその西側という具合にパリ市中心部からカタツムリの🐌渦巻状に20の区に区分けされている。
何故こんなふうになったかというと、古代ローマ時代にパリシイ人の集落として発生したパリも中世には城郭都市となり、その後も時代と共にその城郭も幾度か壊され拡大してきた。19世期の後半には現在の環状道路のエリアまで拡大して今のパリ市がほぼ形作られた。その都市拡大の歴史がそのまま現在の区割りにつながっているともいえる。ただし順番については古くから中心部に一区という名が与えられた訳ではない。また行政区がスタートしたのは1795年からで当初は12の区割りだった。
「パリ、20区」と言うと何かしら現代的な響きを感じるところだが、なんとも歴史を感じさせる20区の成り立ちではある。ちなみにパリの郵便番号は、1区の 75001 で始まり 20区の75020 まで順に割り振られている。
閑話休題。今夜の写真…。
冒頭で書いた何が微笑ましいのかと言うと後ろ姿の老婦人のお二人方、ステッキを片手に足取りは少し怪しい感じなのだがお揃いの赤い帽子がなんとも素敵。同じデザインではなく色を揃えるところがお年を召してもパリジェンヌらしいところ。このお二人もコロナの収束が待ち遠しいことだろう……。
パリ市の行政区は…。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AA%E3%81%AE%E8%A1%8C%E6%94%BF%E5%8C%BA
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