「アジェ/Atget が見た場所」 ♯02

12/07/2017 更新

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ウジェーヌ・アジェ(1857-1927 フランスの写真家)は41歳からをパリの街かどの撮影を始めました。それも当時ではもはや時代遅れともなったビューカメラでの撮影です。(ビューカメラとはカメラマンが被り物をして撮影する蛇腹の大型カメラ)「アジェが撮影した場所」を巡り、その場所の「今」を見つめます。

ここはパリの中心部、ルーブル美術館からほど近い「ボジョレー通り9番地/ 9 Rue du Beaujolais」。写真の真ん中には「PALAIS ROYAL」のと書かれた大きな看板文字が見えます。

かつてAtgetが1906年撮影した写真には「PALAIS ROYAL/パレ・ロワイヤル」の看板の上に「ENTREE DES GALERIES/ギャラリーの入り口」の文字が大きく描かれ、中央の柱には「Passage Du Perron/パサージュ・ペロン」のレリーフ文字も見えます。分かりやすく言うと「高級商店街・パレロワイヤルの入り口-ペロン商店街」と言ったところでしょうか。まさにここはパリのアーケード商店街発祥の地といえる「PALAIS ROYAL/パレ・ロワイヤル」の北側の出入り口なのです。

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Atget 1906

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「PALAIS ROYAL/パレ・ロワイヤル」といえば、ルーブル美術館の北の通り、ルヴォリ通りと広場、その先のサントノーレ通りに面した宮殿。この南側が正面です。左手には「コメディーフランセーズ」の建物があり、まさに王宮にふさわしい佇まいを見せています。https://goo.gl/maps/kee9uYQQ8LK2

正面の左脇、コメディーフランセーズとの間を抜けていくと、現代アートの巨匠、ダニエル・ビュレンが制作した屋外彫刻、白黒のストライプに塗り分けられた260もの高さの違う円柱が規則正しく立ち並びます。設置された当時は物議を醸したそうですが、今ではすっかり市民の憩いの場、観光客の注目スポットになっています。

この広場を北に抜けると周囲を回廊に囲まれた閑静な中庭に出ます。横幅はおそそ100メートル、奥行きはおよそ200メートルもあろうかという中庭。樹々が整然と植えられ散策路の所々にはベンチが設置され、中央にはおおきな噴水や彫刻もあります。ルーブル宮殿あたりの表通りからは考えられないほどの静かで落ちついた雰囲気の中、市民たちが思い思いに過ごすゆったりとした時間が流れています。

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こんな場所がなぜ「PALAIS ROYAL/パレ・ロワイヤル=王宮」 と呼ばれ、北の出入り口には「ENTREE DES GALERIES/ギャラリーの入り口」などの文字があるのでしょうか?この謎をひも解くためにちょっとだけ歴史を振り返ってみることにします。

今現在「PALAIS ROYAL/パレ・ロワイヤル」呼ばれているこの建物は、1632年にルイ13世の宰相リシュリューが自身に居城として建築しましたが、当時はまだ庭を囲む回廊はありませんでした。その後1642年にリシュリュー自身が亡くなった時に君主ルイ13世にこの居城を寄贈。王位を継いだ幼少時代のルイ14世がその後まもなくルーヴル宮殿からここへ移り住みます。
以来この建物が「PALAIS ROYAL/パレ・ロワイヤル=王宮」と呼ばれるようになります。その後王族はヴェルサイユ宮殿に移りますが、「PALAIS ROYAL/パレ・ロワイヤル」はその後、ルイ14世の弟のオルレアン公の所有となります。

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時代は下って、1763年と1781年には火災で一部を焼失しますが、1784年にオルレアン公5代目のフィリップ・オルレアン(フィリップ平等公, 1747-93)が中庭の三方を囲む回廊(上階は住居)を建設。回廊には商店やレストランを入居させ、パリ初のショッピングモールを作り出し、1830年の七月革命後(七月王政)までの約50年間、パリの歓楽街の中心地として繁栄しました。その時の建物・アーケードが今も残っているという訳です。

しかし、1800年代も半ばになるとフランスにおける産業革命が進み、「PALAIS ROYAL/パレ・ロワイヤル」 の北側にはガラス天井をしつらえたより近代的な「パサージュ(アーケード商店街)」が登場してきます。
ボジョレー通りをはさんで北へ「Passage des Deux-Pavillons/パサージュ・デ・ドゥー=パヴィヨン」(1820年)、「Galerie Vivienne/ギャルリ・ヴィヴィエンヌ」(1823年)、「Galerie Colbert/ギャルリ・コルベール」(1826)などが完成し、「PALAIS ROYAL/パレ・ロワイヤル」は衰退していきます。

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2017年 撮影

話がちょっと長くなりました。
今のこの場所、中庭が市民の憩いの場になっていることもあり人通りはそこそこあるのですが、当時のような華やかさは陰をひそめ、日常をゆったりと過ごすとてもシックな佇まいを見せていました。

今回の場所はこの辺り。
 9 Rue du Beaujolais, 75001 Paris
https://goo.gl/maps/Y5vcbRz3Dj62

◆おまけ^^
そしてここには、グルメには見逃せない老舗レストランが健在です。
「Le Grand Véfour/ル・グラン・ヴェフール」 
ギィ・マルタン氏が率いる三星レストランです。

1784年の回廊の完成と同時に開店した“シャルトル・カフェ”の店舗を引き継ぎ、1889年に開業。ナポレオン、ヴィクトル・ユーゴー、ジョルジュ・サンド、ジャン・コクトー、サルトル、アンドレ・マルローなどの作家・著名人が常連客だったそうです。

残念ながら、庶民には手も足も出ないのでスナップ写真だけ(笑)
通りを撮影していると、ホテルのドアマンのようなおじさんがうろうろキョロキョロ。こんな所に有名ホテルがあったかな~?
しばらくすると目の前に高級車が到着、ホテルのドアマンのようなおじさんがすかさずかけより、車から降りてきた紳士をエスコートしてレストランの店内に消えていきました。
ランチタイムでも、男性は上着がないとNGらしいです^^;

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